自己肯定感がかなり低かった私が、自分を好きになれた話。
こんにちは、カナコです。
ちょっとお聞ききしたいんですが
あなたは自分のことが好きですか?
今回は、私がずいぶん振り回されてきた自己肯定感について書いていきます。
けっこう色々なことぶっちゃけてますが、ご興味のある方はお付き合いください。
自己肯定感が低くて、自分を追い込んでいた日々
自己肯定感。
読んで字の如く、自分を肯定する感情のことですね。
つまり
私には価値がある、私には存在意義があると思えるかどうか。 必死になって頑張らなくても、ありのままの自分を受け入れられるかどうか。
どうですか?
自分に満足し、価値があると思え、ありのままの自分を認めてあげられますか?
私は全然出来ませんでしたー。笑
むしろ自分を責め続け、自分で自分を全否定していた時期があります。
自己肯定感がめちゃめちゃ低かったんです。
元々、根が真面目で妥協が嫌いで完璧主義な性格のせいか、自分に厳しくよほど努力して結果を出した時以外、自分を認めてあげることが出来ませんでした。
いつも誰かと比較して、私は劣っている負けていると思い、こんなんじゃダメだ、もっと頑張らなきゃダメだと焦っていて、それなのに他人には劣っている負けていると思われたくないからムダに虚勢を張ったりして。
仕事でももちろん、勤めたサロンで認められたい、必要とされたい、完璧にやらなくちゃ、いてもいなくても一緒だと思われたくないと必死になりすぎて、無理をして体を壊したこともあります。
今思えば、”何をそこまで”と思いますが、その時は他人の評価が怖くて、そうしていなければ不安で仕方なかったんです。
そんな状態で母親になった私が辿る道
少しずつ努力が成果となって現れ、益々仕事にのめり込んでいた27歳の時、突然の妊娠。
えげつないくらいの気持ち悪さと吐き気で、仕事どころではなくなり泣く泣く退社した途端、脱水症状になり重症妊娠悪阻で緊急入院。
病院のベッドで一人、飲まず食わずで24時間点滴で過ごし、出すものもないのに吐き気は治らずひたすら胃液を吐き戻す日々。汚い話ですみません。
体はどんどん痩せていき、体重は36キロまで落ちガリガリになり、ホルモンのバランスも崩れ、顔中吹き出物でブツブツだらけ、起き上がるのも辛い、歩くのもヨタヨタ。
気を紛らすためにTVや本を見ても全然楽しくない。
つい数日前まであんなにバリバリ仕事をしてたのに...
眠れない夜に、暗い病室で点滴のポタッポタッてやつを見ながら泣きそうになるし
もうね、病むしかないよね。
ホントにたった数日の間に起こった大きな環境の変化に、心がついていけてなかったんですね。
もちろん妊娠は喜ばしいことですし、幸せなことですが、その時はとにかく辛かった〜。
お見舞いに来てくれた主人の祖母に
「あんた、つわりなんて病気じゃないだで大丈夫だよっ。」
と言われた時も
うん、分かってる。分かってるけど
マジ帰ってくれヽ(;▽;)
と思ってしまう始末。笑
せっかく励ましてくれたのに、素直に受け止められなかったんです。おばあちゃんゴメン
私がこんな状態でも、お腹の赤ちゃんはしっかりとそこに生きていて、それだけを支えに何とかつわりを乗り越えたのですが…
出産後も、仕事と同じく育児に完璧を求めてしまいます。
これでいいのかな?
こういうやり方をしなければいけないんじゃないか?
これはこうやるべきだ。
例えば、沐浴の仕方、オムツの替え方、お昼寝の時間に離乳食のあげ方。
基本はあっても正解はないのに、マニュアルが正しくて、その通りにやれない自分はダメな母親だと思い込んでいたのです。
妊娠、出産は、精神的にも肉体的にも大きな変化を伴います。
私の場合一人で何でも抱える性格も仇となり、かなりナーバスになっていたこともあって、失敗すればすぐに落ち込み、同居のストレスでイライラが増し、それが子供に向いて更に自己嫌悪に陥る。
まさに負のループ!!
もはや育児ノイローゼ〜!!
自分をダメな母親であるとレッテルを貼った私は、いつも子供に対して後ろめたさでいっぱいでした。
子供の寝顔を見ながら、心の中で、私がお母さんでほんとにゴメンねと何度謝ったことか。
楽しいこともたくさんありましたが、基本的にそんな状態で子育てをしていたので、サロンをオープンしてからは益々悩みますよね。
仕事と育児の両立が、さらに自分を追い詰めた
念願の自分のサロンをオープンさせますが、もちろん最初から全て上手くいくわけはなく、どうやってお客様に来ていただくか、どうやったら満足いただける施術ができるか頭を悩ませ、サンプル作りにSNSの更新、当時は売上欲しさに度々遅い時間までサロンワーク。
終わった後は、遊び散らかった部屋の片付け、ゴミだらけの床を見てはうんざりして、イライラしながら片付けなさい宿題をしなさいと怒鳴り、スーパーへ買い出し、夕飯の支度に、洗い物、お風呂の支度、お風呂上がりの娘の髪を乾かし、息子の歯を磨き、寝かしつけ、洗濯物を畳み、明日の学校や幼稚園の準備をしながらまた仕事のことを考える。
そんな生活をしてるうちに、子供達と向き合う余裕がどんどん無くなっていきました。
子供はまだ自分の気持ちを上手く言葉で伝えられません。
寂しいとか、かまって欲しいとか、自分を見て欲しいとか。
なので、それが行動で現れるんです。
当時小学1年生だった息子は、学校から帰ってくると毎日のように泣き叫んで暴れるようになり、どんなに宥めても顔を真っ赤にして声を枯らして床に倒れ込んで泣いていました。
学校でも給食が食べられなくなってしまったと個人面談で先生から言われ、子供からのSOSにも気付いてあげられず、私はまた落ち込み、自分を責めるしかありませんでした。
その間も、家事のアレが出来てない、仕事も満足に出来てない、母親としても全然ダメ。
妻はこうあるべき、母はこうあるべき、ネイリストはこうあるべき、そんな自分が作り上げた幻想に現実が追いつかない事に葛藤し、苦しめられ、何もかも中途半端な自分を許すことが出来ず、いつも何かに追われている不安感が消えずに心身ともに疲弊していきました。
カフェで言われた、ある人の言葉に救われる
「カナコさんがさっきから言っている、”こうじゃなきゃ””こうあるべき”というのは、一体誰が言ったんですか?誰が決めたルールなんですか?それ。」
悩み過ぎて出口の見つからなかった私に、カフェでこう尋ねてきたのは、浜松の大手サロンで働いていた時にお世話になっていた店長でした。
彼女はサロンを辞めて独立し、その後にネイリストを引退してコンサルタントの仕事をしていました。
私はその質問に即答することが出来ませんでした。
誰かがそう言ったのか?
誰かにそう決められたのか?
何度も何度も自分に問いただしてみました。
けれど、どう問いかけても出てくる答えは
”誰かじゃなく、自分自身”
だったのです。
誰かに言われたわけでも、誰かに決められた訳でも、誰かに責められたわけでもなく、ただ言われているような気がする、決められているような気がする、責められているような気がする、世の中はそういうものだろう、という勝手な思い込みがほとんどだということにその時始めて気づかされたわけです。
そんな事、今考えれば分かりそうなことなのですが、その時は追い詰められていて客観的に自分を見ることなど出来ませんでした。
「自分を許せない人は相手も許せないし、自分を愛せない人は相手も愛せないですよ。」
そう言われ、私は自分の自己肯定感の低さと真正面から向き合うことになります。
根本的な原因に気付かせてくれたmanaちゃんには感謝しかありません。ホント。
自分との対話で自己肯定感を上げていった
そもそもなぜこんなに自己肯定感が低いのかというところは、育ちの話などになってくるので、ここでは割愛します。
とにかくそんなどん底にいた私が、どうやってポジティブに考えられるようになったか?
それは、自分との対話でした。
対話というのは、心の奥の声(本心)を聞くことです。
- 私は、本当はどう生きたいのか?
- どんな人間でありたいのか?
- 何をしたくて、何をしたくないのか?
- どう在りたいのか?
周りの人や環境、現状に一切囚われず、ほんとのほんとの本心を聞くんです。
そうすると、出てくる答えとは全く真逆の生き方をしていたことを、まざまざと認識させられました。
本当は、もっと楽しく生きたい。 もっと笑っていたい。 どんなこともポジティブに考えたい。 子供達を大切にしたい。 自分を好きになりたい。
なのに、それとは随分かけ離れた道を歩んでいたんです。
自分のこと大嫌いだったし。
え、私、このままでいいの?
このまま人生を終わらすの?
自分嫌いなまま、このままずっと?
え、ヤダ。
絶対ヤダわ。
それが私の本当の心の声でした。
変わりたい。
自分を変えたい。
初めて本気でそんな事を思いました。
日々をこなすことで精一杯で、自分と深く向き合うことなどしたことがなかったので、初めて心の底から生き方(心の在り方)を変えたい、そう思えた時には何かの扉が開いたような感じがしました。
課題が分かれば、あとは行動
じゃあ、自分が理想とする生き方をしたいのであれば、今の自分をどう変えていけばいいのか?
それこそが、自己肯定感を上げることだったのです。
それは私が生きる上での課題のようなもので
出来ない自分も、ダメな自分も、上手くやれない自分も全部ひっくるめて、ありのままの自分を受け入れてあげること。
何も飾らず、誰かと比べず、虚勢も見栄も張らず、そのままの自分を自分が肯定してあげること。
誰かじゃなく、"自分が"認めてあげること。
そして、自分を許すこと。
今までが真逆だったのでなかなか簡単にはいきませんが、意識をするだけでもだいぶ変わります。
- やって出来なきゃしょうがない。
- 失敗してもそれはそれ。
- 家事手抜きしたっていーじゃん別に。
-
私はアレもコレもやれてるぞ。
そうして少しずつ、物事を楽観的に捉え、自己肯定感を上げていくと
自分に自信がついて周りの評価にビクビクすることもなくなって振り回されにくくなるので、人のせいにしたり、周りの環境のせいにしたりする事が減ってきます。
そうすると、不思議と人にも優しく出来るようになり、人の気持ちを理解出来るようになり、子供達にもしっかり向き合って愛情表現が出来るようになってきました。
今では、子供達と一緒にいる時間が楽しくて、スキンシップもたくさんして、いっぱい笑い合うことが出来ています。
今までのように自分で自分の首を絞めるようなことも無くなってきたので、毎日がとっても楽になりました。
まだまだ成長過程の初期段階ですが
昔の自分より今の自分の方がよっぽど好きです。
人は生きていく上で、いろんな人間関係やしがらみ、自分で作り上げた固定観念にがんじがらめになって身動きがとれなくなってしまう時があります。
ネイルをしながらお客様とお話していても思うのですが、皆さん本当に様々な悩みを抱えていますからね。
話しているうちに泣き出してしまう方もいらっしゃいます。
今はストレス社会だとか生きづらい時代だとか言われていますが、本来望んでいるのはごくシンプルな事で、それをややこしくしているのは実は自分自身だったりするんです。
私はダメだ....
私なんてなんの価値もない....
そう思った時は
なぜそう思うのか、どん底にいる自分を客観視してみてください。
そして自分とじっくり対話をして、本当の心の声を聞いてあげてください。
まずは問題と向き合わなければ何も解決することはできません。
大切なのは
どんな自分でも全然いい。
ってこと。
本当の意味で等身大の自分で生きてみればいいんです。
他人の評価で自分の価値を落とすことはないんです。
あ、コレ私にも言い聞かせてます。
そんなふうに思えたら、きっと心が軽くなってどんな事もポジティブに考えられるようになりますよ。
またまた話が長くなってしまいましたが
もしお悩み中の方がいたら、私と一緒に自己肯定感を上げていきましょう♪♪
プロフィール(ネイリストの私)
初めまして、岡本加奈子です。
私がネイリストの仕事を始めるきっかけや出来事
仕事への想いなどを綴ってみました。
少しでも私のことを知っていただけたら幸いです。
プロフィール
岡本加奈子
1981年 生まれ
静岡県出身
TCS(トラストコーチングスクール)認定コーチ
日本ネイリスト協会認定資格1級
ネイルサロン衛生管理士
ネイリストというものを知るキッカケ
高校時代たまたま見た雑誌の広告に、ネイルスクールが載っていました。
元々細かい作業が好きだったり、美容にも興味がありましたが
まだ当時はネイルサロンなど田舎にはほとんどない時代。
ネイルが職業になることさえその時初めて知ったのです。
マニキュアは自分でするものだと思っていた私は
ネイルって仕事になるんだ!
と驚いたのを覚えています。
やりがいを求めて美容の道へ
高校の時に親が離婚し、母子家庭だった私は専門学校に通う選択肢は無く就職をします。
待遇が良いというだけで就職した金融関係の仕事はやりがいを感じられず退社。
もっとやりがいのある仕事をしたい!
そう思っていた矢先、偶然見つけたサロンの求人に”これだっ!”と飛びついて、22歳でネイル、エステの道へ進みます。
元々興味のある世界だったのもあり、まるで水を得た魚のように夢中になって勉強をしました。
エステ、ネイルサロンで働きながら専門学校に通いそれぞれ資格を取得。
色々なスタイルのサロンで経験を積み、その頃に結婚もして公私共に充実していました。
子育てをしながら働くことの難しさ
やりがいある仕事で充実感を感じていた最中、妊娠が発覚。
志半ばではありましたが、つわりが酷すぎて入院を余儀なくされたので退社。
主人の地元へ戻ってくるのです。
そして辛い辛いつわり(体重が36キロまで落ちました)を乗り越え無事に長女、2年後に長男を出産します。
その後再就職をしましたが、まだ小さかった子供を育てながら働く環境にしては無理があったため自宅ネイリストに戻ります。
女性ばかりの職場なのに、子供のいるスタッフに対して優しくない環境に会社への不信感も湧き、また子育てをしながら働くことの大変さを痛感しました。
そして、時短施術を強いられ数をこなすことに集中するあまり、一人一人のお客様と深く関わり合えないもどかしさを常に不満として抱えていました。
それが今の
”お客様としっかり向き合った接客をしたい”
”女性が働きやすい環境を作りたい”
という想いに繋がっています。
念願のサロンオープン
2015年7月30日に主人と共にflavor float hair&nail factoryをオープンさせるのです。
コンセプトは
小さな幸せを感じてもらうサロン
人は生きていく上で、大きな転機をいくつも迎えます。
入学、就職、引越し、結婚、出産など様々ですが、一方で髪を切ったりネイルをしたりするのはとても日常的で小さな出来事かもしれません。
しかし、その小さな出来事の積み重ねこそが人生を豊かにしていくのではないかと思うのです。
flavor floatは、お客様の小さな幸せを制作する工房として誕生しました。
今は一人一人のお客様と丁寧に向き合い
たくさんのお客様に愛されるサロンを目指し
何事も楽しみながら頑張っています!
プロフィール(コーチの私)
初めまして。
TCS認定コーチの岡本加奈子です。
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1981年生まれ。
静岡県掛川市在住。
TCS認定コーチ
JNA1級ネイリスト
ネイルサロン衛生管理士
hair & nail salon flavor float 経営
===========
私がコーチになった理由。
私がネイリストとしてサロンをオープンした年
長女はちょうど小学1年生に、長男は幼稚園の年中さんになっていました。
念願の自分のサロンを持つことが叶い
意気揚々に仕事に励んで行けるものと、当時の私は思っていたのですが
育児との両立がうまく出来ず
仕事も中途半端、家事もちゃんと出来ない
誰かに甘えることもできなければ
弱音を吐くことも出来ず
子供と正面から向き合ってあげるだけの精神的余裕が全く無くなり
限界を迎えた私は、心を壊しました。
何もかも完璧にやれない自分は全てにおいて失格だと決めつけ
私にはなんの価値も無いと、自分を責め続けていました。
そんな中でも仕事も家事も育児も、待ったはかけられません。
時間は止まってはくれないのです。
なんとか自分を保ちながら日々をこなしていましたが
ここで私は初めて、自分という人間と深く向き合うことになるのです。
コーチングと出会い、変化したこと。
コーチングとの出会いは
私に大きな変化をもたらしてくれました。
今まで自分を苦しめていた
「こうでなくてはならない」
という、がんじがらめの鎖を
少しずつ解いていってくれたのです。
それはそれは重たかった鎖が外されていくことで
ずっと苦しかった呼吸は楽になり
思考はクリアになり
心も体も軽くなった感じがしました。
私を苦しめていたのは、紛れもなく私自身で
自分を許すことを気づかせてくれたのがコーチングだったのです。
私の使命。
働く女性が増えている現代
子育てをしながら仕事にも価値を感じているママも増えています。
例え働く時間は短くても
職場にいるときは責任を持って仕事をしているのです。
そして、家庭に帰れば
母として、妻としての役割があるのです。
自分の時間もなかなか持てず
自分のことを考える時間も無く
いつしか自分を見失ってしまっていることもあるかもしれません。
私はそんなふうに、仕事と家庭の両立に悩むママや
自分の在り方、生き方を見つけていきたいママの力になりたいと思いました。
辛かった過去の経験は、人のためになることをするための
修行のようなものだったのかもれないと、今では思います。
コーチングは、私の使命かもしれないとさえ感じているのです。
私は今、過去の経験を大切に
ネイリストとして、サロンオーナーとしても働きながら
コーチとして活動しています。
以前よりも多忙になりましたが
子供とのコミュニケーションも取れ、笑顔もたくさん増えました。
自分らしく、仕事、家事、育児の両立が出来るようになった証拠ですね。
そんなふうに、多忙なママでも
夢や目標、自己実現を目指していける手助けが出来るよう
これからもコーチとして活動していきたいと思っています。
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TCS認定コーチ岡本加奈子 公式ホームページ
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